AIに書かせてみたらやっぱりこのブログにならなかった件
タイトル
流行は誰のものでもない
流行との距離感
嫌だと思って離れたのに、周囲の評判を耳にして見直すと意外にも面白く感じてしまう。そんな感情の揺れに戸惑う。世間の熱狂が自分に響かない。その距離感に小さなコンプレックスを抱く。流されるのは嫌だが、流行を全く知らぬ自分にもまた苛立つ。
流行から距離を置くことの潔さと、それを観察する知的好奇心との間で、私はいつも宙吊りにされている。
記憶という不確かさ
「面白かった」はずの映画や小説の内容を、なぜこんなにも忘れてしまうのか。感動は確かにあった、けれど細部は霧の向こう。伏線の妙も登場人物の名前も、ふいに消えていく。記憶とはなんと曖昧で、同時に厄介なものだろう。
記憶に頼らずに語ることは、果たして可能なのか。知の蓄積を重ねるには、反復が必要だと改めて思う。
ジャンルと自分の素養
ファンタジーに魅力を感じない。魔法も剣も遠い世界の話で、歴史のほうがずっと身近だ。自分が知っていること、予備知識があるものには親しみやすさが生まれる。だからこそ、ゲームやアニメで語られる物語の多くに私は入り込めない。
けれどその傍らで、圧倒的な雑食性を持つ友人がいる。ジャンルを選ばず何でも楽しむ姿は、ある種の知的な柔軟性を示している。リベラルアーツとは、こうした越境の精神ではないかとも思う。
全体のまとめ
流行に戸惑い、記憶に揺らぎ、ジャンルに好悪を抱く。その感覚のすべてが自分を形作っている。他人の熱狂と自分の関心がずれることを怖れずに、むしろそのずれを引き受ける勇気こそ、豊かな知の礎になる。
あと私の話じゃないよたっちレディオどこいった?
タイトル
たっちレディオを聞きながら流行と自分を考える
たっちレディオ、今回も面白かった。特に印象に残ったのは、田淵さんが「流行ってるものが本当に面白いのかわからない」と話していたところ。田淵さん、コンテンツに流されてしまう自分にもコンプレックスがあるそうで、その正直さにちょっと共感してしまった。
それに対して田代さんの「流行と自分を結びつけなければいい」という言葉が、なんだか目からウロコだった。自分が流行を楽しんでいるか、ただ“乗っているだけ”なのか。たしかに、そこを混同しないようにしたいなと思う。
ファンタジーが苦手という田淵さんの話も、すごくわかる。『ELDEN RING』とか、世界観に入るのがまず難しい。私も実はまったくわからない。ファンタジーが肌に合わない人間にとって、話のルールを飲み込むまでが長すぎる。
田代さんは真逆で、どんなジャンルでもスッと受け入れて楽しめるのがすごい。デラさんも雑食すぎて「仕事してるの?」って言いたくなるほど(笑)。誰かのススメがきっかけで観たり聴いたりするのって、自分の趣味の幅を広げるきっかけになるんだなと思った。
「ファースト・キス」の話では、田淵さんが坂元裕二好きという話から、でも内容を覚えてないのがコンプレックスというくだりに笑ってしまった。めっちゃわかる。私も『ゴールデンスランバー』、感動した記憶だけはあるけど、肝心の伏線回収の中身が全然思い出せない。
記憶ってほんとにふわふわしてる。でも田代さんが「みんな何度も観たり聴いたりしてるんですよ」と言っていたのを聞いて、ちょっと救われた気持ちになった。1回で全部覚えてる人なんて、そうそういないよね。
映画の話では、『モンキーマン見てね』という田代さんの言葉と、『今年のドラえもん最高』という田淵さんの熱量のコントラストが良かった。私はというと、ドラえもんは原作もアニメも映画もまったく触れずに育ったので、今回の映画も観てません。そういう意味ではちょっと珍しいタイプかも?
あと黒須さんの曲はやっぱり名曲だし、田代さんの「DCがMARVELになりたがってる」という説明がめちゃくちゃわかりやすかった。DCとMARVELの違い、ずっと曖昧だったけど、ようやく整理できたかも。
『エヴァンゲリオン』の話題では、たしかに今の若い人たちはリアタイ世代じゃないんだなあと思った。私はそもそも当時日本にいなかったから、観る機会もなかったんだけど、友人がハマってどんどん様子が変わっていったのを見て、「エヴァってすごい影響力あるんだな…」と感じたのを覚えてる。
西尾維新やメフィスト系ミステリーにも一時期ハマってたけど、全部を読んだわけじゃないし、今思い出そうとしても細かい内容は出てこない。逆に京極夏彦の『百鬼夜行シリーズ』はちゃんと読んだ。登場人物が多すぎるのと、妖怪や民俗学の話が長くて、途中で飛ばしたりもしたけど(笑)、好きな世界観だったなあ。
『中禅寺先生物怪講義録』は、作画にちょっと不安があってまだ手を出せていない。評判よかった『トワイライトウォーリアーズ』も、まったく知らないので、今回は何も書けず。
おわりに
たっちレディオを聴いてると、自分の「好き」のかたちがちょっとずつ見えてくる。流行に乗れなくても、記憶があいまいでも、楽しみ方は人それぞれ。そう思えるのが、この番組のいいところかもしれない。