LGBTについて考えてみる

ちょっとLGBT関係のニュースが続いたので、個人の見解を書いてみます。

まず基本的に、私は海外に住んでいたこともあるので、LGBTに関して偏見はありません。
そして、
を読んでいたので、更に「性自認はグラデーション」であることも学びました。

さくっと書くと、
遺伝子上の男女
体つき上の男女
性自認での男女
恋愛感情をどちらに「どの立場で」持つかによる男女

(男女とは限らないわけですが)

と、まあこれらの組み合わせで無限大らしいのです、可能性が。
特に性自認は、いつからそう思ったか、実は今まで女性だと思ってきたけど、昨日から男性じゃね?と自分のことを思うようになりました、なお恋愛対象は男として男性が好きです、みたいなのがありうるそうなのです。

で、先週、埼玉県の市議会議員さんの、「女子トイレに『自分の性自認は女性である』と言うトランス女性が入ってきたら怖い、と言ったら、君は男性恐怖なだけだカウンセリングを受けろと言われた」というツイート(動画付き)が大変話題になりました。

その時私は引用RTでこう書きました。
文字数関係で全然書けてないですけど、男性器ついたまま「私女性だから」と入ってこられても、私にはその人の内心は分からないので、本当に「男子トイレなんて無理!」と思っているトランス女性なのか、「ラッキー!女だと言い張って女子トイレ入ろ!」の変態なのかは分からないと言いたかったわけです。

またこんなのもありました。
この巫女さん希望のトランス女性は「私は平気!」「私は気にしない!」と言ってますが、他の巫女さんがどう思うかについて全く言及せず、これでは神社もちょっと、と思うのは当然かな、と思ったわけです。

さて本日話題になっているのはこちら。

橋本愛さんが、公共の入浴施設などは、体の性別に合わせた男女別にした方がベターなのでは、とインスタのストーリーに書いたら秒で抗議が来て、謝罪させられた、という話です。

橋本愛さんといえば私にとっては「まばたきの途中」で斎藤さんと歌った人でもありますが、他にもたくさんのドラマを見ていて、賢い人だなという印象を持っていました。

その方があえてストーリーに意見を述べたのにはなにか理由があったんでしょうし、現在愛さん擁護の声が大きいように、最初にノイジーマイノリティが文句つけたんだなあ、可哀想に、と思っています。

もしも、「ついている」男性が温泉とか女湯に全裸で入ってきて「私、女なんですう」といった時、「ああそうなんですねー」で済む女性はどれくらいいるでしょうか?

それはもう生理的な本能的なもので、トランスがなんとかとか差別が何とかということではないのです。

これを「そうなんですねー」な意識に変えるのにはまだまだ時間がかかりますし、今「う」と思う女性はマスであって、カウンセリングの必要な病理を持つ人ではないと思うのです(もしもマスが病んでいるのだとしたら、それはそれは大変な国です)

しかも本当にトランスなのか、わからないです。
「トランスって言えば女湯フリーダムぐふふふ」って思ってる変態かもしれないし。

差別をなくすのはいいけれど、逆に多くの人が生活しにくくなるのは違うような気がします。

想像してみてください。
斎藤さんが温泉に入っています。そこにトランス男性と言い張る斎藤さんのファンが入ってきました。
「さいちゃん、わたし…」
斎藤さんが平気でいられると思います?
(田淵と貴雄の例にしなかったのは、あんまりそういう人がいない気がしたからです)

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