地下鉄サリン事件から28年
(この後、杉田智和ネタが2つ続くので、重い方を先に書きます)
1995年の3/20ですか。
夫は出勤のために、私は(すぐあとに行く予定だったため)ドイツ語学校に通うために、お互い違うけど丸ノ内線に乗った日です。
ドイツ語学校で先生方が騒いでいたんですが、何しろドイツ語で騒いでいたため、テレビもないし当時はスマホもないし、「毒ガス?地下鉄?何の話?」といまいちよく分からない状態でいたことを覚えています(授業は中止にならなかったはず)
なので実情を知ったのは家に帰ってからでした。
あの時の犠牲者はもちろんのこと、今ももしかしたら回復していないトラウマを負ったものすごくたくさんの方に、改めてお見舞い申し上げます。
それまで結構「おもしろ教団」みたいにテレビで扱われていた教団が実はこうだったと知り、本当に絶望したと同時に、報道の脆弱性を知りました。