真っ直ぐな人、繊細な人。生き残れた(多分)人、死を選んだ人。

いろんなところで三浦春馬のエピソードや当時のコメントを見ていると、本当に真っ当な、真面目な「いい人」だったんだなあと思います。多分繊細でもあったんでしょう。
「だめなときに声をかけてくれたのが小栗旬さんだけだった」というなんかのインタビューもありました(そういうときの小栗旬の嗅覚と行動力と器のデカさは尊敬に値する。やはり思春期に色々あったからほっておけなかったのか?)。
城田優が号泣したことはさっき書きましたが、考えてみたら松潤とも友達でした。共演した人は「音楽の日」にたくさん出ていたんですね。どんなに辛かっただろう。周りの人は「私が気づいてやれれば」って自分を責めるかもしれませんが、それはやってはいけないことです。多分、本当に止められなかった。
止められる状態ならいきなりこんなことしない。活動休止とか引退とか手段は他にもあるんだから。


さてちょっと前の田淵。
今日は本当に楽しそうな田淵が見られて、ほんっとうにホッとしたんです。
(田淵、パスタ好きだよね)


ちょっと前は「とにかく考えてる」とか、「日の光を浴びるように散歩している」とか、ああこれはもう精神がやられていると思うのに、知り合いじゃないから連絡の取りようもないし、本当にこちらで焦っていました。音楽が命の彼が音楽の場を失って、自我を保てるだろうか。あの繊細な人が、何もいえなくなるような社会になって、歌もいつ歌えるかわからないのに耐えられるかと、本当に心配していたのです。精神を病むだけならともかく、彼の存在がもし消えるようなことがあれば、私自身も自分の無力さを心底感じて、「あちら」に行ってしまうかも、と思っていたからです。あの自粛期間はそんな感じで、だから私は自分を守るために「アンネ・フランク」になってたわけです。毎日とにかく一日をアンネの気分でいき抜くために。

田淵さんが戻ってきてくれてありがとう、と本当に思います。きづいてくれたMr.醤油工場さんには心からお礼が言いたいです。

とともに、おそらくは三浦春馬さんの「最後のひと押し」をしてしまったであろうコロナと、それによる自粛期間を心から憎みます。

しつこいようですが、私は二人のどちらにとっても赤の他人でしかありません。でも、心配したり悲しんだりはしてもいいでしょう?


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