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「大体ボタンを押す方」とは??サンキュータツオさんの「国語辞典サーフィン」レギュラー化!

本日からNHKラジオ第1でレギュラー化されて始まった「国語辞典サーフィン」。 公式サイト 特別番組として始まった時から欠かさず聴いていて、まさに待望のレギュラー化でした。 聴き逃し配信 サンキュータツオさんは親友のゼミの後輩でもあり、田淵の友人でもあります。 いろんな辞書の語釈の違いをおもしろく解説してくれるとっても楽しい番組です。 …ただし「岩波国語辞典」をちょっと「堅苦しい」とかdisってくる傾向があり(タツオさん自体がそう思ってるみたいで、彼の著書も全部そうです)、岩波しか勝たん!の私(恩師が編纂者で、亡くなったあとは先輩でもある恩師と後輩が編纂しています)からは「またまたそんなことを言っちゃって…」と思うこともしばしばです。 機会があったら(なかなか聴きづらい時間ですが)ぜひ。 再放送はFMで木曜日17:40-です!

「三省堂国語辞典から消えたことば辞典」

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予約したのに1日配達が遅れたこの本がやっと来ました! じゃん! 国語辞典から消えたことばの本です。 当時の語釈のまま書かれていて 例えば MD(号泣) ウォームビズ(えっもうないの?) 赤外線通信(号泣) もっと昔のことばもあって面白いのですが、とりあえず消費期限の短いものを例に出してみました。 この死語たちのスタンプも出るそうで、楽しみです。

「国語辞典サーフィン」第三版

忘れそうになった!けどタツオさんのツイートで思い出した! 国語辞典サーフィン第三版 今日も面白かったです! さり気ない各社のアパートのディスりがひどいw 確かに英語だと確かアパートとマンションの差ってめっちゃ酷いんですが、日本語も語釈してみるとなんかアパートの長屋感がすごいw 岩波くん、「グリーンカレー」載ってるけど「お茶を挽く」も載ってるのは、前者は今の編者(私の先輩や後輩・全員女性)が付け足したんだろうなと思うし(その前の版も持ってるんですけど、めんどいから差を見に行かないですごめんなさい)、後者はいかにもそれまでの編者だった恩師がつけてそうで笑いました。 あと、「急にピンクになった」第七版新版ね! あれ、新版じゃないやつは水色で、両方八版や六版より大きいんですよね。なんだったんだろう。 前も書きましたが、私は岩波原理主義者なので、他の辞書はもってないんですが(言海は持ってますがあくまでも趣味)、最近はネットで引くことが多く、気がつけば日国(日本国語大辞典)なんか見ています。確かにこれは隣の家にベンツで乗り付けてるわ。 でも大人の目に辞書は辛い… また次回を楽しみにしています!

国語辞典サーフィン 第二版

以前聴いた「 国語辞典サーフィン 」がひっそりと?復活してました。 国語辞典サーフィン 第二版 サンキュータツオさん、フォローしてるのに私ったらしっかり取り逃してるとか💧 というわけで11/3の放送を聴きました。 ロックンロールとロックの違い、気になってたんですよね。 ユニゾンは「ロック」だとメンバーが言ってますが、「THE KEBABS」はロックンロールだと佐々木さんが言うことがあって。 なるほどちょっと音楽性が違うんですね。 個人的にはプレスリーとビートルズはジャンルを分けたいです💧 あと「ロックンロール=おじさんの音楽」って💧 そのうちロックもおじさんの音楽になりそう💧 岩波国語辞典の「パスタ」の記述で、七版から八版になる時に「ペンネ」追加、にも笑いました。 前にも書きましたが、新しく編者として加わった(それまでの編者は全員物故者になってしまった)三人が全員女性なので(恩師は女子大の教授だったのでした)その辺本当にすごい話し合ってそうです。 そして忘れた頃にやったと思ったら今月もう一度! 11/23 19:20- ラジオ第一 祝日ごとにやるのかな💧 楽しみです!

「国語辞典サーフィン」

たまに祝日になんでこんなのやるのか?的な番組がありますが、タツオさんのツイートで知ることが出来ました! 国語辞典サーフィン 恩師が編者だったというのもあり、岩波国語辞典に一方ならぬ思い入れのある私ですが、面白かったです。 「国語辞典は序文を読むのがいい」というのは、あとになって知りました。 岩国について、「戦前あたりからの100年分の文が読めるように」言葉を収録した、と書いてあるのは七版で、実はその後メインの編者(私の恩師)が亡くなったため、八版では、編者が増えて序文にはその事がふれてあります。 ていうか、八版は私の恩師、私の恩師、私の先輩にして元同僚、私の後輩が編者なんですけど一体どうしたらw これ以外の辞書を買う選択肢は今のところ私にはありません(国語学者としてはその態度は良くないのですが、私は一介の暇人なのでそれで良いのです)。 とはいえ、昔「新明解国語辞典ブーム」があった時に、古い新明解を古本屋で安く買ったことがあります(情緒的な語釈が読みたくてあえて古い版を買いました)。 あと、大正時代くらいの流行語辞典や、言海っていう明治時代の辞書も持っています(言海は文庫になったのを買ったので、字が小さくて読めないです!)。 ちなみに、結構な量の国語辞典の編者に「金田一京助」の名前がのっているのは、頼まれると断れない金田一京助さんがホイホイ名前を貸したからw豆知識です。

「象は鼻が長い」の謎-日本語学者が100年戦う一大ミステリー #10

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めちゃめちゃ懐かしい話が解説されていたので、ご紹介。 「象は鼻が長い」「僕はうなぎだ」は、長いこと国語学徒の間で論争されていました。 そして多分今も解決していません。 私は国語学を専攻したのですが、文法の細かいことよりも、日本語をコンピュータに理解させるにはどう考えたらいいかとかどういう風に分析したらいいか、というのを勉強していたので、論争の経緯についてはよく知りません。 ただ、「四大文法」の授業は取りました。個人的には「なんで時枝文法を紹介しないんだよ!」です(同じ時枝文法の流派?を学んだサンキュータツオさんもきっとこれには同意してくださるはず)。 今も学校文法(文節という考え方をする)ってやってるのかな? そういえば昔子供に「いやこれは正しくない」とか文句を言いかながら教えた記憶が。 この動画に出てきた本は全部読んでます(学校で必要だったのではなくて、個人的に興味があって) さて、「は」が係助詞であるというのは知っていましたし、「は」は主題の提示を表すというのも知っていました。、 ただ、上の動画では矛盾が。 「は」は主題の提示だから文を跨いでも効力がある、ということですが、動画の中でも例に出していた 「吾輩は猫である」で、おかしなことになってしまいます。 「吾輩は猫である。名前はまだない。(以下吾輩についての記述)」という文章において、吾輩について記述されているわけですが、間に「名前は」という句があるんです。 並列でなく次の文に「は」が出てきたら、主題は移るだろうと考えられるのが普通です。そう説明もされています。 しかし、この文章においては、3文目以降も「吾輩」についての記述なので、論理的にこのふたつの「は」の役割の見分けを提示することが出来ないのです。 多分そういうことで、論争は尽きないのでしょうね。 日本語では、主語がしばしば省略されます。まあ源氏物語なんて酷かったです!テストに「○○したのは誰か」とかいうのが出るくらい。 おそらくは、特に平安時代の小説は超内輪の人しか読まなかったので、より主語が省略されてたんでしょうね。 そうでなくても、ほぼ多民族から攻められたり共存する羽目になったりしていない日本人は、共通認識が多くて、主語を省略しても相手に理解してもらえる文化があったと思っています。 英語みたいにたくさんの人種、民族、地域の人が話すものだと、単語の使い

藤井八段、「そこはかとなく」強い……??

お昼ご飯を食べて、🤳をいじっていた。 テレビは 「ひるおび」がついていて、藤井二冠(八段とどっちの言い方が正しいの?)の強さについてやっているようだった。 耳だけ機能していたようで、将棋の八段とか九段とかの人が 「藤井八段の そこはかとない強さは… 」といったので、 えっ? と思わず画面に目をやった。 「そこはかとない」は「なんとなく」的な意味だから、次は「懐かしい」とか「悲しそう」とか、はっきりクリアにわかるものではだめです。確か「『そこ』は『彼(か)』と『なし』」(それはこう、というわけではない)のはずですし。 「そこはかとなく強」かったら、特に理由はないけどなんとなく強いってことになっちゃいます。 多分「底しれない」強さ、とか言いたかったんだろうな、と思いつつ、ごめんね、すっごくびっくりして声まで出ちゃったから。 無理矢理ユニゾンと繋げると、「ピストルギャラクシー」という曲で多用されてますね。 そこはかとないのに そのはかとないのに そこはかとない そこ儚い夜の森を抜けて残像 こっちはわざわざ意味わかんなくしてるし💧 ついでだから藤井八段にはなんの関係もないけどYouTube張っときます。 「over driver〜ピストルギャラクシー」From「Bee-side Sea-side U-side」at Zepp TOKYO 2019.10.16.

『国語辞典の遊び方』

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#サンキュータツオ さんの、 #これやこの の企画に乗るために、『これやこの』を読んだ。私はこの年齢にしては珍しく、大事な人をほとんど亡くしていないのだが、書けることはあるので、ツイッターの企画には参加しようと思う。 それとは別に、ずっと読みたかった『国語辞典の遊び方』も読んだ。 前にも書いたが、私は国語学を専攻した。卒業論文は現代語の文法。その後大規模電子化辞書を作るプロジェクトに参加したりした。今で言う「自然言語処理」の第何次かブームのときである。 という目から見て、『国語辞典の遊び方』でとっても悲しかったことが2つ。 1つは、『岩国』(岩波国語辞典)のみ編者の名前すら書かれていなかったこと。 2つ目は、『岩国』は橋本文法のながれを汲んでいるから未だに「形容動詞」がある、と書かれていること。 私は、『岩国』編者である水谷静夫先生に学んだ。水谷先生は二版くらいからほぼメインで編纂なさっていた。7版の新版までは水谷先生がなさった、と言っていい(現在の一番新しい版では、水谷先生が鬼籍に入られたため、先生の教え子〜つまり私の先輩や後輩や先輩にして先生だったりする方々が編纂している)。 多分、水谷先生と辞書についてお話なさっていたら、こんな誤解はなさらなかったと思うと思うのがその2。 その2・「形容動詞を認めている」ところ。 『国語辞典の遊び方』では、「岩国」は橋本進吉さんに編纂をお願いしたら亡くなってしまったので、教え子の岩淵悦太郎さんに編纂をお願いした、だから橋本文法(学校文法)が基本となっている、と書かれている。 しかし水谷先生は、時枝誠記さんを師となさり、時枝文法を元に「水谷文法」を作られた。 まず、私達ゼミ生は、水谷ゼミに入ると、学校文法(とりわけ形容動詞の存在)の否定から教わった。いかに使い勝手が悪く、いかに「例外」が多く統一的でないか。 そして時枝文法の流れを汲む水谷文法には、もちろん「形容動詞」は存在しない。 ということを叩き込まれていたので、卒業して何十年経ってはいたが、『遊び方』での書き方が気になり、もう一度『岩国七版新版』を読み返した。 …やっぱり、「形容動詞は一般的に使う人がいるから」的な意味で「形容動詞」を使っているだけで、辞書中、説明以外に「形容動詞」という言葉は見当たらなかった。 サンキュータツオさんが、水谷静夫先生を少しでも知ってくれていた

外山滋比古さん死去

外山滋比古さんが亡くなられた。 外山滋比古さん死去 96歳 前に書いたと思うが、私は国語学(現・日本語学)を専攻した。高校のときには国語学を志していたので、外山滋比古さんの国語に関する著作をよく読んだ。金田一春彦さんのものとともに。 そして田舎にたしか講演にいらしたことがあり、聴きに行ったと記憶している。 経済的な問題から国立を受けろ、と親に言われていた私は、外山滋比古さんのいるお茶の水女子大学を当時受けようとした。が、たしか国文学科に国語学のゼミが見当たらず、途方に暮れた記憶がある。 結果的には進学した大学の恩師が専門にしていたことが、私のやりたいことと全く合致したし、厳しく育てていただいて今の私があるので、良かったのだが、そんなわけで外山滋比古さんも私が私淑していたひとり、ということになる。 恩師も既になく、金田一春彦さんも、そして外山滋比古さんももう鬼籍の人となってしまった。 寂しい。 謹んでお悔やみ申し上げます。

『啄木鳥探偵處』終了。『ゴンドラの唄』とわたし。

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『啄木鳥探偵處』終わりました。 啄木が亡くなるところは出てきませんでした。 金田一さんと啄木はあの頃(啄木が死ぬ頃)は全く別々に暮らしていて、お互い家庭を持っていたのですが(金田一さんと啄木が「蓋平館」に住んでいたのはほんの数ヶ月です)、まあそれはいいでしょう(死ぬまで借金しまくってたのは本当だし)。 これ、多分原作は全然違ってて、一話完結なんでしょうね。全ての事件がああやって収斂されていくって、あんまりないし(でも毎回出ていたのは彼女だけだったので、だいたい想像はついていましたが)… 啄木の死に目を看取った若山牧水が酔っ払っていたり(彼は大酒がもとで亡くなりますが、亡くなってもお酒の匂いがしたとか、アルコール漬けみたいな状態で遺体がいつまでもきれいだったとかという話は有名)、なんだかんだ言って金田一さんが本当にいい人(無心があるとお金を貸しまくってたとか)なのはいいけれど、 ・史実とはいえ啄木がクズすぎる ・萩原朔太郎陰キャすぎ ・野村胡堂、金田一さんと同級生なの触れられず ・『ゴンドラの唄』を言わせるためだけの吉井勇(『ゴンドラの唄』発表は啄木の死後、大正4年) ・いくら漱石と啄木の交流があったからって、全く存在意義の解らない芥川龍之介 ・子供すぎるのに探偵やってる平井太郎 はいかがかと思いました。 平井太郎くんは最終回で、「今、団子坂を舞台にした小説を書いてます!」と言ってましたが、 その「団子坂を舞台にした小説」=『D坂の殺人事件』(明智小五郎初登場作品)を出すのは啄木の死後15年、大正15年です。ちょっと早すぎないか?? (注・平井太郎は江戸川乱歩の本名) 前もトリックが「二銭銅貨」まんまの回がありましたし… 文豪だとか時代を下手に知っていると、こういうところで変なことされると嫌なんだよなあ…と、ちょっと思いました。 最後のシーンが一回目冒頭だったのは良かったかな。でも『悲しき玩具』が出たのは、啄木が亡くなって割とすぐだったんだけど… ここからは個人的な話になります。 前に書いたと思いますが、私は大学で国語学(現在の日本語学)を専攻していました。国語学を教えてくださった恩師が、自ら開発した日本語プログラミング言語に『朱唇』という名前をつけ、かつ私たち教え子には いのち短し「学べよ」乙女 あかき唇褪せぬ間に と教えてくださいました。