『国語辞典の遊び方』
#サンキュータツオ さんの、 #これやこの の企画に乗るために、『これやこの』を読んだ。私はこの年齢にしては珍しく、大事な人をほとんど亡くしていないのだが、書けることはあるので、ツイッターの企画には参加しようと思う。
それとは別に、ずっと読みたかった『国語辞典の遊び方』も読んだ。
前にも書いたが、私は国語学を専攻した。卒業論文は現代語の文法。その後大規模電子化辞書を作るプロジェクトに参加したりした。今で言う「自然言語処理」の第何次かブームのときである。
という目から見て、『国語辞典の遊び方』でとっても悲しかったことが2つ。
1つは、『岩国』(岩波国語辞典)のみ編者の名前すら書かれていなかったこと。
2つ目は、『岩国』は橋本文法のながれを汲んでいるから未だに「形容動詞」がある、と書かれていること。
私は、『岩国』編者である水谷静夫先生に学んだ。水谷先生は二版くらいからほぼメインで編纂なさっていた。7版の新版までは水谷先生がなさった、と言っていい(現在の一番新しい版では、水谷先生が鬼籍に入られたため、先生の教え子〜つまり私の先輩や後輩や先輩にして先生だったりする方々が編纂している)。
多分、水谷先生と辞書についてお話なさっていたら、こんな誤解はなさらなかったと思うと思うのがその2。
その2・「形容動詞を認めている」ところ。
『国語辞典の遊び方』では、「岩国」は橋本進吉さんに編纂をお願いしたら亡くなってしまったので、教え子の岩淵悦太郎さんに編纂をお願いした、だから橋本文法(学校文法)が基本となっている、と書かれている。
しかし水谷先生は、時枝誠記さんを師となさり、時枝文法を元に「水谷文法」を作られた。
まず、私達ゼミ生は、水谷ゼミに入ると、学校文法(とりわけ形容動詞の存在)の否定から教わった。いかに使い勝手が悪く、いかに「例外」が多く統一的でないか。
そして時枝文法の流れを汲む水谷文法には、もちろん「形容動詞」は存在しない。
ということを叩き込まれていたので、卒業して何十年経ってはいたが、『遊び方』での書き方が気になり、もう一度『岩国七版新版』を読み返した。
…やっぱり、「形容動詞は一般的に使う人がいるから」的な意味で「形容動詞」を使っているだけで、辞書中、説明以外に「形容動詞」という言葉は見当たらなかった。
サンキュータツオさんが、水谷静夫先生を少しでも知ってくれていたら、多分書き方は違ったかもしれないなあと思うととても悲しかった。
でも!都会派のシティボーイ、天才肌はホント(笑)
浅草生まれ、旧制高校時代は「烏天狗」と呼ばれるほどの博学で、辞書を編纂する人のくせに国産第一号のコンピューター(今のスマホなんかにも全然かなわないレベル)をアセンブラで動かした人。日本語の語彙を集合論で、待遇表現(いわゆる敬語)を論理式で書くような先生。日本語のプログラム言語を開発した人。国語学だけの人ではなかった。「(パソコンを)たち上げる」みたいな理系表現が多く収録されているのは、おそらく先生の身近にそういう世界があったからだと思う。
そんな水谷静夫先生に興味がある方にぜひ入り口としておすすめしたいのが下記2冊。
読んでいただけたら嬉しい。
…とはいえ、たしか下の「曲がり角の日本語」はいきなり数式が出てくるといって当時一般の読者から評判が悪かった気がするし、
「辞書を育てて」は今読み直して、「いやいきなりのドイツ語は(せめて何語とか書いてないと)わからんだろ…」とおもったのだが、それ以前に、さすが「もともとはゼミの学生に読ませるつもりだった」だけあって、
全文歴史的仮名遣い。
私たち門下生はレポートの採点も全部歴史的仮名遣い(しかも仮名はカタカナ)だったし手書きのテキストもそうだったので、すっかり慣れていて、むしろ「活字読みやすいじゃん?」と思ったりしたが、これ、若い人読めないんじゃあ…
水谷先生のエピソードは #これやこの に沢山かけそうなのでまとめます!
この駄文がサンキュータツオさん( @39tatsuo )に届きますように。