ライブ文化の移り変わり

偉そうにタイトルをつけてみたけどそんなに行ってたわけではないので念の為。

とりあえずBBAバレももうしてるので素直に書くと、多分初めて行ったのはオフコースではないだろうか(4人になってから)。
とにかく田舎なのでツアーになんかそうそうこないので、上京してからいろいろ行くようになった。
好きだったのは大江千里で、彼のは毎年行った。BOØWYが解散して客が渋谷公会堂を荒らして(ガラスとか割れてた)た同じ日、「いやあねえ粗暴で」と大江千里のNHKホールでのライブを終えて通りがかったというのもあった。
(NHKホールより渋谷公会堂のほうが駅に近い)
基本ポップなのしか行かなかったので(渡辺美里とかね)あんまり客が暴れたのには遭遇したことがない。
世間は尾崎豊をカリスマとして扱っていたが(当時は「盗んだバイクで走り出すpgr」とかとても言えない雰囲気)、わたしはそっちに行かなかった(大人に反抗するのがロックかと言われれば今もなんか違うような気がしている)のだけど、友だちにブルーハーツを教えてもらってしまった。
「うお、なにこれちょーカッコいいじゃん」(田淵風に書いてみた)言葉がシンプルなので余計に刺さって、伝説の?日比谷野外音楽堂に行ったのは前にも書いたとおり。

で、この頃客がどうだったかというと。
多分好き勝手だったと思うんですよ。
ヘドバンとかしたことないし。
あと、歌ってはいなかったと思います。歌ってたら絶対私なら「勘弁してくれ〜」と思うはずだから。

それとも私が空気読めない子ちゃんだったのかな、勝手に踊ってました。

学園祭は一年のときの爆風スランプを取りそこね、2年かな、陣内孝則さんから行ったはずだけど、多分通路近くまで行きそうなくらい踊りまくるのが私の仕様💧だったので、知らないにーちゃんに「ノリがいいね!」みたいな感じで話があったような。

たなみにこの取れなかった爆風スランプの学園祭が1985年です。田淵たちが生まれた年。

なので、その前のライブ文化を知らなくて当たり前なのです、彼は。

その後ライブハウスにも行ったけど、ヘドバンもダイブもするような系統じゃなかったせいか、遭遇せず。レベッカとかも行ったと思うぞ(記憶が定かではない)

卒業してからは忙しくなってじきに結婚してしまい、仕事を変えたりしてライブに行かなくなってました。

それに病気になったりしてとても出かけられるような状態ではなく(なので好きだった小沢健二のライブすら2010年まで待たなくてはなりませんでした)子供生んだりしてあたふたして、途中で伝統芸能の方に行ったり💧してました。


で、気づいたらなにあのタオルみんなで回すやつ???
という状態に。

UNISON SQUARE GARDENのライブに行くに当たり、とにかく田淵が好き勝手しろというので安心していったら、
なんでみんなで手を上げたりしてるんですか
疲れました(BBAなんで)。
(歌は幸い聞こえなくて良かったです)

というわけで、21世紀になってからかもしれないです、あの謎のみんな同じ動き文化。
それだけ若い人が不安なのか、日本は昔より同調圧力がひどくなったのか(そんなことはないと思うけど、あーでも昔はスクールカーストとかなかったから強くなってるのかな)

というわけで、BBAの独り言にお付き合い下さりありがとうございました。

LIVE(on the)SEATは、好き勝手な動きをします(足で)!
手を上げるの疲れるのよBBAだから。







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