本日の「たっちレディオ」第519回 感想
私はハガキ職人ではないので、書き方が悪いのかもとは8割くらい思っているのですが、こうも何度も意図と違うところを切り取られてしまうと、ちょっとなあと思います。いい医者から悪い医者に行ったんじゃないんだけどなあ…(実際そうじゃないし)
というわけで519回。
「医者サイコー」から続く「みんな違ってみんなそのままでいい?」の回です。
この話は田淵さんが数年前に「ADHDの傾向あり」と診断されたことから始まる話で、今回はその反響とともに発展させています。
お子さんの話、3人ともよくわかってらっしゃらないようですが、私の周りにも、明らかにちゃんと療育したほうがいいのに、親が意地になって医師に見せないという子が何人もいました。そしてそういう子は他害の傾向があったりして問題児になっていました。
発達はどの子も一定なわけではないし、たしかに「普通級」ではいられない子もいます。親の凝り固まった「普通級が正義」みたいな概念で子供の発達を妨げるのは本当に良くないと思います。本人が可哀想。
それと一つちょっと、と思って子供に聞いてみて同意を得たので書きますが、
田淵さんのおっしゃってた「画一教育だったからこそ頑張って一番になる喜びがあった」みたいなの、一番になる子ってそんなに多くなくて、頑張っても一番になれない子、なる気が起きない子のほうが多いんじゃないかと思うんです。
私は運動ではいくら頑張っても一番になれませんでした。「努力」ということの虚しさをひしひし感じました。(それでも勉強は田舎の小さい学校ならそれなりの成績になれたので、どちらの気持ちもわかります。だからこそ思うのですが)
画一教育はある年齢までは必要だし、だからこそ自分でやりたいこと、できることを知って行くのだとは思いますが、「画一教育」と「進捗別教育」は共存できるもので、すでにあり、田代さんのおっしゃってた
(「画一教育」と共存しない)「チューニングされた教育」とはねじれの関係のように違うものだと思います。そして「チューニングされた教育」は人の可能性を潰すと思います。
田淵さん以外の方の「発達障害」への理解がイマイチなので、途中で性癖の話になっていて、混乱しました。
(田代さんの身近の締切りを守れない人は甘ったれなんじゃ…?)
ただ、言えることは、田淵さんはこの道に来られて本当によかった、ということです。
あと、僕たちは信用できるとかいうやつに限って信用できない(笑)