「推しは推せる時に推せ」という言葉は、推しの状況の話だけではないと思う件

タイトルの通り「推しは推せる時に推せ」というのは、こういう時に必ず言われる言葉ですが、個人的は裏の意味もあると日々感じています。

ここから個人的な話が入りますご容赦ください(まあ大体個人の感想ばっかなんですけどね、このブログそのものが)


私はいま、生き急いでるようにユニゾンのライブに行っています。
二月末からの
24,27,3/1
という3連続なんて(その前の2/17徹夜というのもあった)常軌を逸しています。

何度か書いたと思うのですが、もともとわたしは
・病気(双極性障害Ⅱ型)
・子育て中


という状態がありました。
PTAで学校に行けば倒れるような有様で、家族以外の人と会ったり話したりすることには負担があり、電車にも1人では乗れなかったのです。

また、料理も苦手なので、毎日の子供のお弁当にストレスを感じたり…

とにかく、音楽がアンテナに引っかかる精神的余裕がなかったのです。

現に、「シュガーソングとビターステップ」が流行った時、子供はカラオケで歌ったと言うし、夫もその当時聴いたと言うのに、わたしにはその記憶がありません。
(ここにはオフィシャルな理由しか書いてありませんが、本当にいろいろ大変なことがありました)

私が「シュガーソングとビターステップ」を心に留めたのは2019年の夏でした。

その頃から子供の進路が決まって、お弁当の必要がなくなって、多分精神的な余裕が出来ていたのでしょう、ライブに行くことになりました。
最初は子供を誘って。でももう行かないと言うのでひとりでw行くようになり、遠征もできるようになり、今に至ります。


つまり、ライブに頑張って行っているのは、明日は具合が悪くなって行けなくなるかもしれない、と思っているのが片方あります。
目も悪くていつ網膜剥離になるか分からないから、後悔したくないというのもあります。

というのと、大好きなアーティストがいつか活動しなく(できなく)なってしまうかもしれない、というのがリンクして、今の「近場で行ける時なら行きたい」になっているにです。


時を遡ります。
昔私は小沢健二が好きでした(過去形になってるのは過去のことだからです)。
小沢健二のコンサート行きたいなと思っている時、私はドイツに住んでいて、「物理的に」行けませんでした。
ドイツから帰ってきた時には、彼はアメリカに行ってしまって、10年以上音沙汰がありませんでした。
帰ってきた彼は音楽性とか表象するものやことが変わっていて、ついていけなくなりました。
でも、王子様だった小沢健二を見たかったなあ、という思いはあります。


というわけで、推しを推せるのって、タイミングだと思うのです。
ちょっとでもズレていたら私はUNISON SQUARE GARDENにはハマらなかったと思います。

そう思うと、UNISON SQUARE GARDENが存在してくれてライブをし続けてくれていることは本当にありがたく、同時にそれを享受できる自分の状態もありがたいと思っています。

というわけで、今私は推しを推せる状態なので、悔いのないよう推したいとおもいます!



それと先日医師に聴いたのですが、鬱とか躁鬱には運動がいいらしいっす!
私は運動神経がないので今まで動かなかったのですが、ライブで動くなら全然構わない!
それも私の今の精神状態を良くしているのかもしれません。


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