「Cornelius」が「小山田圭吾」としてトレンド入りしています。なぜなら

Corneliusがオリパラ開会式の作曲メンバーというニュースで、案の定、コメント欄が
ということになっていて、トレンド入りしている。

私は彼のいじめについては、💩の話しか知らず、相手がどういう人だとかというのは知らなかった(そのことだけで彼を軽蔑するに充分だったからである)けれど、このたび話題になっているので、読んでみた。


(初出の20000字インタビュー。20000字シリーズは小沢とか、ユニゾンの斎藤さんと田淵とか読んだけれど、こんな酷い内容のは他にもちろんない)

彼が通っていたのは和光学園というところで、小学校から高校までそこだったはず。
世田谷から町田は遠かっただろうとおもうけど、親が芸能人だったので仕方なかったのかな、とも思う。
自由とか平等とかが売りで、後に知り合うことになる小沢健二はそういう校風に親が感銘を受けて入れたはず。
いわゆる「お受験」校ではない。

自由とか平等を掲げているので、いろんな子がいたのだろうけど、個性や障害のある子「以外」に、小山田圭吾みたいな子供がいて、いじめが横行していて、学校も放置していたのだとしたら、子供は通わせたくない学校である。

それにしても、フリッパーズ・ギター以来彼には多少の偽悪趣味があったにせよ、おそらくこれは(特に後の村上なるライターとのインタビューでは)本当だろう。
吐き気がする。

わたしも、障害のある子と同じクラスだったことは何度もある。
体育だけだったり、ずっと一緒だったり色々だったが(私は転校しまくっていて小学校に4つ通ったので、その時々によっていろいろだった)いじめを見たことはないし、もちろんいじめたことはない。

小山田圭吾はダウン症について「小学校の時から知っていた」とあるが、わたしもダウン症のことは小学校から知っていた。
クラスにダウン症の子がいたからである。
そんなに言葉を話さないけれど、ニコニコしたいい子で(男子)、クラスには彼と距離をとる子もいたけれど、私と友人のグループ(男女混合)は仲良くしていて、一緒に帰ったり、家に遊びに行ったりもした。たしか私が転校する最後の登校日も、一緒に帰ったんじゃないかな。
ダウン症のことをしっていたからこそ、顔がみんな同じとか体が大きいとかよりも「どこか悪いところは無いのか、ちゃんと大きくなれるのか(寿命が短いと言われていたから)」というのを心配していた。
最近になって、近くに住む友人から、彼が元気でいることを知ってとても嬉しく思ったくらいだ。

足の不自由な子とも同じクラスだったけれど、それを「なにか悪いもの」と思ったことはない。

古い世代の私でさえそうなので、とても彼(と言っても私と同世代だが)には違和感を感じる。

人種差別のような発言もある。

それらを笑っていう感じがとても嫌だ。

私の子供も学級崩壊からいじめにあった。その傷はまだ子を苛んでいて、わたしもいじめたやつや一緒になってた教員のことは忘れられずにいる。しかし、いじめた方って笑って済ますんだ。と愕然とした。

今更、もう出来上がってるだろう曲になにか言うつもりはない。

が、1つ、アーティストとしてのCorneliusについて、雑感を書く。

小沢健二からフリッパーズ・ギターに遡った私は、もちろんその後のCorneliusを聴いた。2枚目までは良かった、というか、頑張ってフリッパーズ・ギターの跡を継ごうとしていた気はする。3枚目になって、音楽と歌詞の乖離が酷くなり、聴くのを辞めた経緯がある。

思えばフリッパーズ・ギターは歌詞を全部小沢健二が書いていたので、意味がないものも含めて知性を感じたのだが、Corneliusの歌詞は、例えば田淵が「歌詞なんてなんでもいい」と言っているのとは別次元で、「日本語でOK」レベルなのだ。

音楽だけならいいのかもしれないけれど、言語化能力が低い人を尊敬できない私はそれで離れた経緯がある。

改めてインタビューを読むと、知性を感じない。まあ、知的であれば道徳に反することはしないのだから当たり前といえば当たり前なのだが。

小沢健二は高校で受験しこの学校を離れた。
裏にこういうのを見ていたのかも、と思った。


現代の怪談というのにも、実際あったことだから恐ろしすぎる、いじめと差別の話。

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