「斎遊記」#5

斎遊記、朝見ました!

北村匠海くんて興味もなくて「猫の人」という認識でしかなかったんですが、めちゃめちゃ素敵な人ですね。
演技や歌を「表現」することの細かさへの言語化もさることながら、俳優さんだからか、「チームが100で出来上がっても、お客様のところでは20になってることがあるけれど、手を離れた瞬間からそれはお客様のものだから、好きなように受け取って貰う」というところ、ともすれば「これだけ頑張ったんだから、こう受けとって欲しい」と考えがちな斎藤さんとの差があって、興味深かったです。

斎藤さんの「自分が努力したようにうけとってほしい」は凄くわかるんです。先日の「喉からCD音源と言われるのはちょっと」ということといい、彼は本当は彼の努力を受け取って欲しいんだと思うんです。

でも、客との乖離(それぞれのお客の置かれた状況など)を考えたら、北村匠海さんの考え方は健康的だし、メーカーと商品みたいで、あるべき姿なのかも、と思いました。


あと、「赤いスイートピー」深掘りなんですが…
「続・赤いスイートピー」も読んできましたが、多分斎藤さんの読み、違いますね。
スイートピーの花言葉は、卒業式とかで渡される意味での「別れ(門出)」です。
もしかしたら、「赤いスイートピー」の花言葉には「悲しい別れ」的なものがあるのかもしれませんが、なんにせよ、「赤いスイートピー」が作られた頃には赤いスイートピーはこの世に存在していなかったので、どちらにせよこの曲には合いません。


「赤いスイートピー」を通して感じるのは、と言うよりもむしろ、松本隆が松田聖子を演出していたのは、徹底した「強気な女の子」でした。
(これは何かを読んだのではなくて、彼女の曲と共に育ってきた、耳のそこまで歌詞がこびりついている私の印象です)


「赤いスイートピー」での男の子は、タバコ吸ってるくせに「半年すぎても手も握らない」弱気な子です。
なので、女の子は「I will follow you」と強い意志で彼に寄り添うことを宣言しているのです(この言葉自体、ジェンダー平等の世の中でなんなんだという気がしますが、昭和の曲だということで)。

その「こっちからグイグイ行くぜ」を自覚したのが「心に春が来た日」であり、「心の岸辺に赤いスイートピーが咲いた日」なのです。


…ちなみにですが、この時彼の側としては、「手も握ってない」し、つきあってないのでは?説すらあります。

斎藤さんが言及していた「続・赤いスイートピー」は、もうだいぶ年月が経っていて、相手が結婚したんですが、結婚相手が私みたいなグイグイタイプじゃなくて優しい人で良かったと思う。でも駅に来ると思い出すし、赤いスイートピーを押し花にしてあるよ、という内容です。

私にはこの2曲からは、「赤いスイートピー」という小道具への裏設定は感じませんでした。


…言うても斎藤さん、これリアタイじゃないもんね。
「ハートのイヤリング」「ロックンルージュ」「ガラスのプリズム」などの、松田聖子の強気女子シリーズを聴かないとこの感じは分からないかもです。


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