【読書会LIVE】梶井基次郎『檸檬』【生放送】

実は昨日はこれをワクワク見ていたらジャック・オ・蘭たんのときメモ通知が来て、「くっ!せつらく…明日見る!」と諦めてまだ見てたけど、1時間経ったのでドコムスさんのトモコレに移動したという経緯がありました。

梶井基次郎は私が世界で一番好きな作家です。
もし彼の顔がせめて芥川龍之介レベルだったら、死ぬほど今も人気があっただろうと思ってます気の毒に…デモオトコハカオジャナイノ

それはともかく、私の高校の教科書に載っていたのは「城のある町にて」の第一章でしたが、「檸檬」も好きです。

私が彼をどれくらい好きかと言ったら、各種文庫はもちろん、当然全集も持っていて、「檸檬」の当時の復刻版持っていて、聖地巡礼?では無いけど、彼の滞在した伊豆の宿に行って、宿の人たちの梶井基次郎の思い出みたいな本を買ってくるくらいには好きです。
関連本は多分全部読んだんじゃないかな?


梶井基次郎の小説はどれも、「作者は結核である。主人公=ほぼ作者だから、主人公も肺を病んでいる」のを前提にしないと鑑賞しづらいです。
「檸檬」でいうと、びいとろが冷たいのだとか、檸檬が冷たいのをとても好むのは、自分に微熱が常にあるからです。
それから基本的に主人公は鬱なので、自分の周りはグレーだったりモノクロだったりしています。だからこそ、たまに見つける色彩をとても大切にするし、丁寧に描写します。
梶井基次郎自身、ペンネームをセザンヌもじりにしてたくらいなので、多分絵が好きだったのでしょう、他の作品でも、色彩が印象に残ります。

河村さんが疑問に思っていた「それがあの頃のことなんだから。」は、私はメタ的に挿入された作者の一言かな、と解釈しています。
不吉な塊が心にあって云々で最後檸檬爆弾を仕掛けて帰るまで、つまりこの「檸檬」に描かれた話は全て過去(あの頃)の話ではないかと。
作品としてはそういう意味では未完成なのかもしれませんが、恐らく作者と主人公は、完全に分離して捉えて書いてなかったんじゃないかな、と思います。
(それこそ文学史的に、梶井基次郎が主人公を第三者的に描いたのは「のんきな患者」からです、というのは簡単ですが、そんな予備知識がなくても「檸檬」単体でもそんな解釈が妥当かな、と思います)

…とはいえ、私は大学で彼を専攻したわけではないので、あくまで個人的意見です。

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